愛媛県南予地方 南宇和郡愛南町
外泊石垣集落の石垣を以前から一度見てみたかった。
念願を果たすために仕事を兼ね、愛南町船越半島外泊まで足を延ばす。
宇和島市から車で約一時間、宇和海からまた海の色が変り美しい。思いのほか近く感じた。もっと早く来ればよかったと思った。道路事情も良くなっていた。私が子供の頃の南予と違い、少し近くになっていた。
そこは、南予の独特に入りくんだ海岸線に突然視界に現れた。
祭事に立ち会集落の人々に出会った。『どこから来んさったん?』最近になく、穏やかな日差しのほこらの前で住民の方たちと立ち話を少しできた。地元の人たちとの出会いと会話の旅は倍増の喜びになる。少し歩くと人が何気なく出てくる。よそ者の歩く姿は、少し怪しく、気になるようだった。そこで出会った、元民宿経営をしていた叔父さんと少し会話。数軒あった民宿も今は、一軒だけになったそうだ。
文化の里に指定されながらも、未来の姿は想像しがたく感じ、若い頃に建築誌で見かけた集落のモノクロ写真とは、ほど遠かった。工業化製品の外部建具に、コンクリートの手摺が傾斜地に築かれていた。石垣の姿も民家の姿も変りつつあり、後世に伝えられる価値みたいなものが、私には見えにくかった。近隣への道路整備で生活は激変し、真珠や鯛養殖は衰退気味の南予独特の事情かも。
幕末に中泊集落の二男・三男を集団移住させ、防風・防潮と急傾斜地に石垣を築き民家を構えた。北斜面の山から海にかけ中央に川をはさみ、民家が並ぶ。湾の沖には幕末に築かれた人口の石の防波堤が見事だった。民家周辺には空き地も目立ち、民家から山頂にかけての畑は雑木林と化し、タタミ一帖ほどの畑にも草が茂る。
民家の跡地の海側石垣に残る石垣の窓『海賊窓』や『ほこら』は、当時の人々の祈りや苦労が覗える。一つ一つ石を積み重ねた厳しい自然にも耐えて、幕末から人々の営みの時の流れを見てきた石たち。村人の労力の結晶が、衰退しかけている。
石段や石敷きの坂を上り、曲がりあちらこちらに抜けてみる。民家の中には人の気配がする。窓ガラス一枚の向こうはもう、住空間らしい。毎日の暮らしが、傾斜地であれ、石段であれ、現代文化に生活様式が移行しつつも、昔の人々の苦労を一番よく知っているのは、外泊の人々。建築価値や街並み価値や石垣価値を、文明や法律だけで保存はできないのか。複雑な想いで、最後に畑だったろう傾斜地に立って感じた。
建築家安藤忠雄は1962年にこの地を訪れている。民家が多く残り、連なる瓦屋根や石積みの風景を初めて見たそうだ。ここから丹下建築を見て、香川や広島へと行ったそうだ。(建築を語るより)。香川直島のベネッセや松山エリエールのアプローチの原点は外泊の石積みかも・・・。現代の外泊を安藤忠雄が見ると、何と言うだろう・・・。
毎日毎日石を運び、積み重ね、貧困や怪我の汗と涙のそこにしかない結晶は、次世代への引継ぎが急がれるはず。暮らしと保存との共存の難しさはあるが、この石垣の集落の歴史的時間の経過はここにしかない大切な価値がある。
潮よけの人工防波提は質感が良く、周辺環境を壊してなかった。海も海水も島も半島も空までもが美しかった。





見事な石垣が足を進めると広がって見えてくる



海賊窓は、家族の帰りを待ったし、海や波や風の様子を覗ったし、営みそのものを観ただろう。


美しい石垣が続く




坂で出会ったおばちゃん
ここが生家で、産まれて育ったとか。『長男は都会に行き、近所に残った私が近隣に迷惑を掛けないように、廃墟跡を草引きや石の手入れをするんよ』瓦の残骸と浴槽と玄関の説明をしてくれ、また坂を上がって行った。


カフェが中腹にもあり、古い写真展示もしてある



